キャプティブ保険の歴史は、イノベーションの歴史。その2 1980年代前半まで

こんにちは、ハワイ州キャプティブ保険マネジャーの三澤です。

 

前回の投稿では、保険会社としてのキャプティブの始まりと、1960年代にバミューダがキャプティブ設立地として登場するまでを振り返りました。今回は、1980年代前半までの歴史を振り返ってみようと思います。

 

1970年以降、様々な種類のキャプティブが登場し、保険会社が引き受けられない特殊リスクを引受ける重要な役割を担い始めます。1984年にはキャプティブ数は2,000社弱まで増加していました。

 

医療過失キャプティブの設立

1970年代に俗称「Bedpan Mutual(直訳すると差し入れ便器共済?)」と呼ばれる、医療過失賠償責任保険を専門に引き受けるキャプティブが多数設立されました。1970年代にアメリカで医療過失による高額の賠償責任が相次ぎ、保険料が高騰したことがきっかけです。1980年代には同様のキャプティブが42社も運営されており、米国の医療過失保険市場の半分以上のリスクを引受けるまでに成長しました。

 

エネルギーキャプティブの設立

1972年に、石油大手16社によるグループキャプティブOil Insurance Limited (OIL)がバミューダに設立されました。設立の目的は、当時保険会社が供給できなかった環境汚染賠償責任保険の安定供給です。OILは現在、エネルギー企業50社以上が参加し、73億ドル(約8000億円)の資産を有する保険会社に成長し、エネルギー産業を支える重要な役割を担っています。

 

原子力発電キャプティブの設立

1973年に、原子力発電企業14社による合弁でグループキャプティブNuclear Mutual Limited (NML)がバミューダに設立され、米国の原子力発電所の火災総合保険の引受けを開始しました。NMLは1997年にNuclear Electric Insurance Limited (NEIL)と合併するまで、全ての米国の原子力発電所に対して500万ドルまでの火災総合保険と除染賠償責任保険などを提供しました。NEILは1979年のスリーマイル島の原子力事故の後に、米国の原子力発電所がさらに大きな災害に対応するために設立され、NMLが引き受けていた500万ドル以上の損害を引受けました。NEILは2016年の時点で、約40億ドル(約4,500億円)の純資産を持つ規模に成長しています。

電力キャプティブの設立

Associated Electric & Gas Insurance Services Limited (AEGIS)は、1975年に電力会社のグループキャプティブとしてバミューダに設立されました。現在AEGISは200人以上の従業員を抱え、300社以上の参加企業から年間15億ドル(約1700億円)の保険料を引受ける保険会社に成長しています。アメリカ50州全てでサープラス・ライン保険会社(州内で引き受け困難な保険を州外から提供する保険会社)として登録されていて、ロイズ・オブ・ロンドンのシンジケートの一つとして再保険も提供しています。

 

レンタキャプティブの登場

1978年に、キャプティブ機能を専門に貸し出すレンタキャプティブANECOが登場します。それまでも似たようなサービスを提供するキャプティブは存在していましたが、商業的にレンタキャプティブを売り出したのはANECOが初めてです。レンタキャプティブは会社を設立することなく、キャプティブのメリットを低コストで提供できるプラットフォームとして、大きな成長を遂げます。

 

バーモント州によるキャプティブ法整備

1980年代、アメリカではバミューダやケイマン諸島などオフショアに設立されてきたキャプティブを本国に呼び戻す動きが始まります。1981年、先ずキャプティブの法整備を整えたのはバーモント州です。バーモント州は現在でもアメリカ最大のキャプティブ設立地として知られ、米国のキャプティブ業界に多大な影響力を持っています。

 

 

1970年代から80年代前半は、米国の大手企業や職業組合等を中心に大規模キャプティブが、バミューダやケイマン諸島などに設立されました。この時期には、試行錯誤によるイノベーションやキャプティブ法整備の発展などがあり、その後キャプティブ業界が大きく成長するための礎を作った時代と言えます。

 

次回は、1980年代後半から現代までの歴史を振り返ります。

 

キャプティブ保険の歴史は、イノベーションの歴史。その1 1960年代まで

こんにちは、ハワイ州キャプティブ保険マネジャーの三澤です。

 

今日は、欧米企業のキャプティブ活用の歴史を、振り返ってみたいと思います。長くなるので4回に分けてお話ししようと思います。

 

自家保険の歴史は意外と古く、保険そのものの歴史とほぼ同列です。最も古いリスク移転の手段としての保険の記録は、紀元前2000年代頃のバビロニアまでさかのぼります。キャラバンが、資金を借りて出発して盗賊などの被害にあった場合、債権者が損害を負うという言う取り決めがあったそうで、これが保険の考え方の起源だと考えられています。これはまた別の機会にお話しします。

 

ヨーロッパでは1920年代から自社リスクの引受けを行う専門の会社組織は存在していましたが、当時はまだ法整備などはありませんでした。現在の様に保険会社として登録されたキャプティブが初めて登場したのは、1955年のアメリカ・オハイオ州です。保険ブローカーのフレデリック・レイスが、ヤングストン・アイアン・シート&チューブという鉄鋼会社の依頼で保険費用の削減に取り組みました。1955年当時、鉄鋼会社に保険を提供できる保険会社は数社しかなく、労働争議に直面していたヤングストンの保険料は上がる一方でした。レイスは、ヤングストンの保険のみを扱う新しい保険会社Steel Insurance Company of Americaをオハイオ州に設立し、リスクの一部を世界一の保険市場ロイズ・オブ・ロンドンから再保険を買うことで移転しました。これが自家保険会社としてのキャプティブの最初の事例です。フレデリック・レイスはこうしてキャプティブの父となりました。

 

キャプティブ保険会社が親会社にもたらすメリットは、すぐに明らかになりました。キャプティブ保険会社を持つ企業は、投資及び保険収益を得ることができ、再保険市場から直接保険を購入することができるようになります。

 

その後レイスは、1962年に規制の緩やかなバミューダに世界初のキャプティブマネジメント会社アメリカン・リスク・マネジメントを設立します。レイスは、キャプティブマネジメントの父でもあるわけです。これを機に多くのキャプティブ保険会社がバミューダやケイマン諸島など、オフショア地域に設立されるようになります。レイスは、バミューダでキャプティブに対して元受サービス、マネジメントサービス、ガバナンスサービス、再保険プールの提供、保険仲立(保険ブローカー)などのサービスを次々と提供していきました。1960年代末には、100社強のキャプティブが設立・運営されていました。

 

フレデリック・レイスはキャプティブ保険のイノベーションを讃えられ、国際保険協会による保険の殿堂入りをはたしています。

 

次回は、1970年代から1980年代前半までのキャプティブ発達の歴史を振り返ります。

キャプティブの本質は、「究極の責任感」

こんにちは、ハワイ州キャプティブ保険マネジャーの三澤です。

 

先日、ジャコ・ウィリンクとレイフ・バビン共著「Extreme Ownership」という本を読みました。著者は、米海軍の特殊部隊SEALの少佐としてイラク戦争を戦った元兵士で、除隊後に軍隊経験を基にEchelon Frontというリーダーシップコンサルティング会社を経営している二人です。アメリカではベストセラーになっていますが、まだ日本訳は出版されていないようです。ウィリンク氏がTEDxで「Extreme Ownership」について話しているビデオがYouTubeにあるので、英語のわかる方は見てみてください。

 

 

Extreme Ownership」とは、優秀なリーダーが持つ「究極の責任感」のことです。自分のリーダシップ力を強化するヒントになればと読んでみましたが、これはキャプティブにも通じる話だと感じました。

 

日本の企業文化には、責任の所在が分かりにくい側面があると思います。何かを決定する際に全員の意見が一致するまで延々と議論したり、一つの決済にいくつも捺印が必要だったり。誰に決断の責任があるのかわかりにくいことも多いと思います。和を大切にする日本文化の表れでもありますが、同時に決断の遅れなどの弊害があるのも確かです。

 

ちなみに責任の所在という視点で保険という仕組みを見てみると、非常に面白いです。保険とは、問題が起きた時に他の誰かに責任を取ってもらうためにお金を払う仕組みといえます。言いかえれば契約で責任転嫁をする仕組みです。もちろん保険は契約ですので、保険契約の約款をきちんと読めば責任の所在はハッキリします。しかし私がキャプティブの仕事をしていてよく見かけるのは、会社経営者が自社が抱えるリスクの性質や保険契約の内容をよく把握していないことが多いということです。

 

「保険を買っているから大丈夫」

「保険会社の担当者に任せておけば安心」

「何かあれば保険会社が何とかしてくれる」

 

背景にはこういった安易な考え方があるのかもしれません。

 

Extreme Ownership」の考え方では、これは責任放棄にあたり、大きなミスを招く重大な問題です。軍隊組織であれば死や敗北を意味し、会社組織であれば業績悪化や倒産に繋がることもあります。自社のリスクは、経営者が責任をもって管理する。組織の存続と成長のために必要なのは、そんな「究極の責任感」かもしれません。

 

その点、キャプティブをフル活用している企業は自社のリスクをよく理解し、保険会社とも対等な立場で付き合うことができます。自社で保有すべきリスクはキャプティブで保有し、保有できないリスクは保険を買うかもしくはキャプティブを通して再保険を手配します。キャプティブは、「究極の責任感」を持って自社リスクと付き合うための仕組みです。

 

「究極の責任感」で自社のリスクと向き合い、リスクと上手に付き合っていくことが、会社経営者には求められていると思います。